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平均的なリンクスプレイヤーが使用するコスモ・ブレインは
もれなく端がちょっとカットされています

こいつどんだけシャッフルに関する記事書くの?って思われながらも、書かずにはいられない。

本当の意味で、正しいシャッフルとは何なのか。正しく無作為化されたデッキとはどういう事なのか。

過去記事


◆シャッフルの本質は「結果」ではなく「過程」にある

シャッフル。デッキを正しく無作為化するためのルーチン。
俺たちカードゲーマーにとっては、呼吸の次に頻繁に行う動作だ。
しかし、それだけ頻繁に行うにも関わらず、正しいシャッフルの知識というのはなかなか共有されない。
(冒頭でリンク貼った過去記事みたいに)

今回のテーマは、シャッフルとは「何をしている」のか。その本質に対する持論をぶちまけたい。

シャッフルの本質は、「結果」ではなく「過程」にあるのだ、と。

言い換えるなら、
「しっかりシャッフルされたデッキの配列」
ではなく、
「しっかりシャッフルしている動作」
にこそ価値があるのだ。


◆“いい感じ”にシャッフルされたデッキ

シャッフルに関する話題で、とりわけ頻繁にSNSなどを賑わすのは、やはり「横入れ(ファロー・シャッフル)」問題だろう。
スリーブを傷つけないでほしい否定派と、手早く正しくシャッフルしたい肯定派が歩み寄る事は、未来永劫ないんじゃないかと思えるほどだ。(俺がどっちかってのは、言うまでもない)

この論争で肯定派がよく持ち出すのは、「いかにファローシャッフルが“よく混ざる”シャッフルであるか」という主張だ。


ヒンズーだけでは不十分で時間も掛かる
パイルは規則的に並べ替えているだけで論外
でもファローなら、しっかり手早くよく混ざる
(イメージです)

こんな感じだ。この主張自体は完全に正しい。
ただ、続けてこんな感じのツイートが来たら、途端に怪しくなる。

試しにスリーブを2種類混ぜてファローしてみた写真です。ほら、いい感じに混ざってるでしょ?
(いい感じにスリーブが混ざってる写真付き)

(2019/2/14追記:シャッフルの方法は違うけど具体例)


それは違うんだ!
「ちゃんとシャッフルすることでデッキのカードが適度によく混ざる」というのは大いなる誤解だ。もし本当にそうなら、何ターンも土地を引き続けたり、初手でフルハウスを作るような奴はこの世に存在しない。
でも現実にはしょっちゅう起きて、ライフをメモするはずだったペンでスコアシートに「0」と書く羽目になる。
なぜか?正しくシャッフルしたからだ。
正しくシャッフル=無作為化されたデッキは宇宙になる。ありとあらゆる未来の可能性が内包され、俺たちがそれを予測する事は不可能になる。わかるのは、デッキに入れたカードを引くって事だけ。

“いい感じ”にシャッフルされ、「そろそろあのカード引きそうだなー」と予測がつくような状態は、正しく無作為化されたとは言えない。全く宇宙じゃない。

だから、「正しくシャッフルしたい!」と主張するために、“いい感じ”にシャッフルされたデッキを提示するのは、全く的を外した行為だと言える。完全に逆効果だ。

◆シャッフルする、という「過程

正しくシャッフルされ、宇宙と化したデッキの中身はどのようになっているのか。

・いい感じに混ざってる
・渋い
・どうやっても勝つ
・お前に出来ることは何もない

どれだってあり得る。その予測は全く不可能だ。逆に言えば、シャッフルを行った後のデッキの中身を確認しただけでは、それがイカサマで作られたものなのか、偶然の産物なのかを判断する事はできない。
例えば10回連続で確認して、10回連続で凄まじい好配列だったとしても、「いやーラッキーっすねーーー」以上の事は言えない。イカサマしてるかもしれないが、正しくシャッフルした場合でも10回連続で恵まれる可能性はゼロじゃない。

では、何をもって「正しくシャッフルされているか」を判断すべきなのか?

正しくシャッフルしていたかどうか、だ。

正しく、十分な手順を踏んで、無作為化されたと信用できるシャッフルを行なっていたか。その「過程」こそが重要なのだ。
この過程さえ正しく行われていれば、2色のスリーブが最終的に上下半分ずつきっちり分かれていても、それは「正しくシャッフルされたデッキ」なのだ。

適当にヒンズーをバフッバフとか
パイルだけで何かを規則的に並べるとか
「家でシャッフルしてきたから!」と言い張るとか

誰だって信用しないだろう。「ちゃんとシャッフルしてくれないか?」と言わずにはいられない 。なんならジャッジを呼ぼうか?
お互い向かい合って、目の前で、ヒンズーパイルそしてファローを組み合わせ、がっつりシャッフル無作為化。こうすれば、お互いに相手が正しくシャッフルしたことを「知っている」状態になる。お互いの手で生み出した宇宙なら、どんな幸運もどんな不運も、偶然の産物だと受け入れられる。

シャッフルという「過程」さえ正しく行えば、どんなデッキの中身=「結果」も肯定される。これこそがシャッフルの本質じゃないか、というのが俺の持論だ。




自分を信用してもらうために
対戦相手を信用するために
そして何より

この勝負の価値を信用するために

正しくシャッフルするべきなのだ





プロフィール

HN:はったー
名古屋でカードしてるカードショップ店員。
遊戯王とゼクスを中心に、カード関係の話題なら何でも頭を突っ込みます。

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